戸田の昔話 第五話
地蔵堂と中山道の話
むかしの中山道は川岸の地蔵堂の横、細い道を通り庚申塔や山王さまの石仏のあるところを、右へ折れ左にまがってつづいていたそうです。川岸の地蔵堂は古いお堂です。毎月二十三日になりますと近所のおとしよりが集まりまして、「荒川のみのりの舟に地蔵尊、しまに立つのもごせのためなり」と川岸に地蔵さまのご詠歌をあげたり、お念仏を唱えて供養します。ほんとうはお地蔵さまの縁日は二十四日ですが、「川岸のお地蔵さまはセッカチなのでしょうね」一日早くするそうです。
行事が終りますと、それぞれがもって来ました、だいこん、里芋、コンブ、お魚、ゴボウ、などの煮ものや、てんぷらをつくり、皆で食べながらお茶を飲んで世間話に花を咲かせます。この時に、戸田の昔話やわらべ唄などがたくさん聞かれます。一度、おとしよりのお話を聞きに出かけてはいかがですか、中山道には、こんなお話もあります。
中山道といえば、江戸時代のころ、参勤交代というものがありまして、大名、小名、とそれぞれの国のお殿さまが行き来する道でした。それで、道路と家との間は余裕がありまして、たくさんの砂がいつもしかれておりました。
これは、お殿さまが「下にいろー 下にいろー」といって、おカゴで通る時、家の者はみんな外へ出て、雨戸をしめ、砂を盛り上げ、その後で、土下座して、お殿さまが通りすぎるまで待っています。
これは、おそれおおいので、お殿さまに姿を見せてはならないということで、砂盛りをする、ならわしになったといいます。