戸田の伝説 第八話
びくに田
むかし新曽村に、福寿院という真言宗のお寺がありました。
いなからしい草ぶき屋根の本堂がよく似合う、小さなお寺でしたが、いつからか自芳尼さんという心のやさしい比丘尼(女のお坊さん)が住んでおりました。
自芳尼さんは、いつも熱心に観音経やお念仏をとなえてほとけさまにつかえ、村の家々をよくまわっていましたので、村の人たちからたいへんしたわれておりました。
村の人たちがお寺へお参りにいくと、いつもにこにこと親切にしてくれましたので「自芳尼さんは、きっと観音さまか弁天さまの生まれかわりだろうよ」とうわさするようになり、あるとき、みんなで相談して、お寺へ田んぼをいちまい寄付することにしました。
自芳尼さんはたいそう喜んで、この田んぼを大切にし、そこからとれたお米を毎日ほとけさまへお供えしておりました。
ところが、あるときどこからか悪人が来て、正直な自芳尼さんから、だいじな田んぼをだまし取ってしまいました。自芳尼さんは、あとでだまされたことに気付き、これでは村の人たちに申しわけないと、毎日なげき、かなしんでおりましたが、これがもとで急に亡くなってしまいました。
村の人たちが驚いてかけつけると、そばに「尊しな うき世の夢の さめて今妙なる国へゆくぞ うれしき」という和歌を書いた紙が置いてありました。
同情した村の人たちが、生前の自芳尼さんによく似た石の弁天さまをつくって本寺の観音寺へ建て、方丈さまから華授院蓮戒自芳尼というりっぱな法名もつけていただいて、ねんごろに供養してあげました。
ところが不思議なことに、その後、この田んぼの持ち主になる人は、急に死んだり、その家に悪いことがつづいたりするようになりましたので、「びくに田」と言ってこわがり、その田にだれも近づく人がいなくなってしまいました。荒れはてて、最近までそのまま残っていたということです。