戸田の伝説 第六話
子安まんだら
むかしむかし、新曽村(戸田市)や川の向こうの新倉村(和光市)の領主で、墨田五郎時光というお殿さまがおりました。
美しいお姫さまをお嫁さんにして、新曽のお城に住んでおりましたが、二人はとても仲がよく、人もうらやむほどだったといいます。
そして間もなく、お嫁さんに子供が生まれることになりました。
しかし、おなかが日ましに大きくなっても、なかなか子供が生まれません。くるしいくるしいというばかりです。お殿さまは、心配で心配でたまりませんでしたが、どうしようもなくほんとうに困ってしまいました。
そのときふと「今日は日蓮さまというえらいお坊さんが、近くの鎌倉街道を通る」と、村の人たちが話をしていたことを思い出しました。
「そうだ、そのお方ならきっと助けてくださるだろう。安産するようにおがんでいただこう」と急いでお迎えに出かけてみると、ちょうどお殿さまの領地の新倉村へ着いたところで、日蓮さまと会うことができました。
お殿さまは、「これからすぐ私のお城へ来てください」とお願いしましたが、日蓮さまは「佐渡へ行く途中なので、それは許されまい」と言われ、その場で安産を祈願し、お守りを書いてくださいました。
お殿さまは、それをいただいて飛ぶようにしてお城へ帰り、このお守りを見せますと、たちまち男の子が元気よく生まれました。
お殿様はたいそう喜んで、その子の名前を「徳丸」とつけましたが、そのときお殿さまは「しまった。日蓮さまへお礼をいうのを忘れた」と、またすぐに後を追いかけましたが、もうどこにもお姿は見えません。それでもどんどん行って、やっと追いついたところが岸村(浦和市)のお宮のところでした。そのため、このお宮は「つきの宮」と呼ばれるようになりました。
また、このとき日蓮さまが乗っていた馬をつないだ木は、「日蓮上人駒つなぎの欅」といい、今でもそのお宮にすごい大木となって残っています。
そして、このときの安産のお守りは、後世の女人のためにと、「子安まんだら」といわれ、大切にまつられることになりました。
お殿さまは、その後いっそう信心に心がけ、徳丸が九歳になったとき、父と子で日蓮さまのお弟子さんとなり、二人で心を合わせて建てたのが、新曽の長誓山妙顕寺だということです。