戸田の伝説 第三話
鶴ではなかった話
むかし、戸田市付近は「戸田筋のお鷹場」と言われて、将軍家の狩猟場になっていました。お鷹場では武士たちが、よく訓練された鷹やはやぶさを使って「きじ」や「つる」をとったり、弓矢で「しか」や「うさぎ」 などをとることが行われました。これを「鷹狩り」とか「鹿狩り」といいます。
将軍家では、「鳥見役」という役人をきめて、鳥やけものが減らないように、いつもきびしく見張りをさせていました。
ところが、1837年(天保8年)のお正月のこと、このお鷹場の中の美女木村で、たいへんなうわさ話がひろがってしまいました。村の幸作と多五郎の二人が、こともあろうに御禁制の「つる」をつかまえて、食べてしまったというのです。
このままうわさがひろがって、鳥見役人の耳へ入ったら、どんなきびしいおとがめがあるかわかりません。村の名主さんはおどろいて、青くなってしまいました。
そこで、早速二人をと呼んでくわしく聞いてみると、どうもうわさは本当らしいのです。そこで名主さんは、いろいろと考えたすえ、「つる」ではなかったことにして『二人が蕨へおつかいにいった帰り道に、田んぼの中で鳥がいっぱい集まってさわいでいたので、何だろうと思ってそばへ行ったら、鷹が白鷺のような鳥をくわえていたのです。私たちが近よったので、その鷹は白鷺のような鳥をくわえたまま、飛んで行ってしまいました。どこへ飛んで行ったのか、鳥のことですから私はよく知りません』
このように話を打合せておくことにしました。そして、それを二人に紙へ書かせておきましたので、このことはおとがめもなく、無事にすませることができました。しかし、名主さんは心配のあまり、夜もねむれなかったので、いちどにいくつも年をとったようになってしまったということです。
お鷹場では、鉄砲をうつこと、木を切ること、家の建てかえをすることなどをきびしくとりしまっていました。もちろん、鳥やケモノをいじめたり、つかまえたりすることはできません。
そのうえ、鷹狩りのために村の人々は、いろいろな仕事を命じられていたのです。鷹の「えさ」を見つけることもその一つです。鷹は、生きているえさでなければ食べないので、なん千匹ものえさを見つけることは、たいへんなことでした。
この鷹のえさには、おもにオケラやエビヅル虫がつかわれました。昔の人が鷹のえさを見つけるために、命令とはいいながら、おおぜいで田んぼへ入って虫 ケラをさがしている・・・・・・なんて、今の人には想像もできないことでしょうね。そんなとき、子供たちは・・・・・きっと、オケラとりを手伝ったことでしょう。